松本望は、音響で有名な株式会社パイオニアの創立者です。
この記事をシェアーしたいと思います。
20091021164618897松本

彼は、1905年(明治38)松本勇治牧師の次男として神戸で生まれました。
今日は、そのパイオ ニアの創立者松本望の生涯をお話し致しましょう。、
彼の父親である松本勇治のことをまずお話します。彼は函館商業卒業後、
貿易商を夢みてアメリカに渡りま した。そこで熱烈なクリスチャン松岡洋右(後の外務大臣)に会いました。
その強い影響を受け、クリスチャンとなりました。貿易商にな るどころか熱心な牧師になった彼は、
アメリカにおいても伝道に命をかけました。その後、養父の家がある栃木に帰ってきましたが
即座に養父から「耶蘇バ カ」と反対され勘当されてしまいました。それでも栃木で伝道しました。
その時の生活は貧しかったようです。その後、役場の書記をしていた菊池ケイという女 性を見染め結婚しました。その新婚旅行でさえ徒歩による伝道旅行だったそうです。その「耶蘇バカ夫婦」の次男として、松本望が生まれました。「私は父の信 仰をそのまま受け継いだ」ということを松本望が自ら書いています。
 ★松本望が生まれた時 (明治38年5月)には、家族は神戸市三ノ宮に移っていました。神戸に移り住んでからは松本牧師の家はそんなに貧しい状態ではなくなったようです。しかし 父勇治は、子供達に「幼いときから勤労の精神を養っておかねばならない」と、小学3年生の頃から新聞配達、夜は床屋の見習い、牛乳配達と仕事をするように 申し渡したと言います。やがて望青年はラジオの製作会社に入社し、10年 務めました。
彼の趣味は、自分手製のラジオで神戸港に入港している外国船からの無線傍受でした。松本望の幼少から青年期は、父の松本勇治牧師の影響が大き かったようです。ラジオ製作会社に勤めて10年目ぐらいの時なのでしょうか。あるキリスト教関係の団体から「あなたの人柄を見込んで、独立資金を援助しましょう」という 話が来ました。彼は独立を決意しました。会社名を「福音電機製作所」と命名し独立しました。昭和12年のことです。
福音とは「キリストのよき知らせ」のこ とであり、私は音を通して世に貢献するという決意が込められていました。さらに昭和14年東京に進出し、音羽に「福音電機製作所」の看板を掲げました。
し かし奥さんが機械のコイルを巻くという家内工業的なものでした。昭和22年には、さらに会社は拡大を続け「福音電機製作所」の名前を変え「福音電気会 社」となりました。さらに発展を続け、
昭和36年に社名を現代の「パイオニア株式会社」と命名しました。
パイオニア

 ★パイオニアの社名のように、松本望は音の分野の開拓者であることを社訓のひとつとしています。そのことを現すエピソードが残っています。パイオニアが レーザーディスクを世界に先んじて作った時でした。最初その製品は全くと言っていいほど売れなかったそうです。その時の松本望は、弱気になっていた社長や 社員に「全くの新製品なのだから、売れなくて当たり前だ。あわてるな!」と言って励ましたと言うのです。
今やレーザーディスクの無い家を探すのが難しい程 になっていますね。松本望は1994年7月15日、83歳の天寿を全うして召天しました。松本望は、父親のつけてくれた名前がとても気に入っていたようで す。
「いつも名前の望がどんな時にも一筋の希望を与えた」と言っています。
松本家の墓標には『されど、われわれの国籍は、天にあり』という聖書の御言 が刻まれています。
今日の御言は、松本望の名に入っている聖書の御言「あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたにとどまっているならば、なんでも望む ものを求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう。」(ヨハ 15:7)をあげておきましょう。この御言のように、どんな時にも希望を持って生きましょう。